Ultraマニュファクチュールは1949年、ポール・マイヤデの跡取り息子であるピエール・マイヤデによってフランス、ドゥーに設立されました。 フランスの長きに渡る伝統ある時計作りの起源は18世紀にまで遡ります。 マイヤデ家の一代目であるアンリはジャケ・ドロー家のパートナーでした。 アンリは当時の国王や皇帝からの命を受け、兄弟達と共に数多くのオートマトンを作り上げています。
先祖からの影響を多大に受けたピエール・マイヤデは、ブサンソンの象徴的な建造物であるタラグノズ・ミルに存在する作業場とガイスマーワークスとして知られる工場を引き継ぎました。この工場の取得は組織内に独自のムーブメント生産ラインを設け、最高の品質を生み出すことを目的としたものであり、これによってマニュファクチュールとしての確固たる地位を築くことが出来たのです。
ポール・マイヤデによってガイスマー社が買収された際、ガイスマー社の工場、株などの資産に加え、その卓越した時計製造のノウハウがUltraに引き継がれ、この技術と美学思想が会社が成功するために必要な方法論を指し示しました。
内蔵ムーブメント搭載の41キャリバー懐中時計に続き、ULTRAは数多くの腕時計ムーブメントを開発し、多大なる革新を生み出してきました。
Superautomaticは手巻きキャリバーに装着された自社開発の自動式モジュールを搭載した最初のフランス製自動巻時計でした、その技術は双方向回転のローターを用いています。
1949年、ULTRA Sarlの創設によってブランドは独立した法体系を得て、フランスの時計製造業界において確固たる地位を獲得しました。
確固たる信頼を築き上げた会社は1960年のフランス大統領、シャルル・ド・ゴール氏が愛したシトロエン・DSのカークロックに選ばれています。
1960年代後半には家族内の不和と不景気が会社に大きな打撃を与え、会社は1972年に倒産という形でその幕を閉じてしまいます。それから40年後、モルトーの時計職人とフランス起業家による取り組みの甲斐あってUltraは象徴的なブランドとして以前のUltra社の近郊で復活を遂げることとなったのです。